いつも自分の意思に先行する関係性がある以上、自分の意思が絶対などということはない。これでダメなら失っても良い。という決断が先行する関係性に影響することはあるが、それは可能性でしかない。また期待してしまっては、結果的に関係の絶対性に絡め取られ、安易な運命論に陥るに違いない。
先行する関係性こそ唯物論であり、それに気がつき振り返ることができるのが現存在なのだろう。そして唯物論に先行できるかもしれない未来への企投という意志主義のへの信仰。
唯物論と意志主義の信仰という二つの視点を保持することで、自身の思いこみを一定相対化し、運命論の諦観に陥ることがないのではないか。それは人に優しくしつつ、毅然とする姿勢にもなるのではないだろうか?
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