運動体としてのエネルギーは、自己矛盾を抱えて走ることでうまれるよなぁ。

そして、運動に伴い、不可避に発生してくる問題を解決しようと足掻いているうちは問題は本当に問題ではなく、運動体としての燃料だと思う。自家撞着的な物言いだけど、存在論というのはそういう感じ。

まぁ、試合時間のタイムアップという制限条件もあるけど。

「問題」がないなら、それは終着駅だよな。