ヒットと三振の数を評価するのは結果主義なのだろう。
そこまでの過程は問わないというのもスタッフの自由さをある意味保障するのかもしれない。
同じ三振でも、見送りなのか、積極的なスイングの過程なのかは見なくても良いのだろうか?
どちらが良いかは価値判断を含み、結果主義ほど公平ではないかもしれない。
一方、可能性は過程からしか生まれない。
いや、結果が可能性を開く可能性もあるというかもしれないが、結果評価は、今の延長であり、むしろ結果を過程=始まりへ転嫁しなければ、 可能性の広がりはないのではないか?
「仕事が増えたら、スタッフの増やすよ」とか「大きなレギュラーが来たら拡大するよ」とか結果から、自身はリスクなしに自分達に都合の良い未来へ進む期待というのはあり得るのか?
自分はリスクを負わず、依頼するお客には負わせて、自身の可能性だけ拡大するっていうの?
やはり過去を呑み込んだ過程からしか可能性は開けないと思う。
問いは初めに戻る。
「同じ三振でも、見送りなのか、積極的なスイングの過程なのかは見なくても良いのだろうか?」
挑戦しなければ、未来が作れないという中小企業であるというそもそもの前提条件がある上に、「過程からしか未来が産まれない」という視点を加えるなら、「積極的なスイングの三振」こそが評価されなければならない。のが我が社の限界で可能性なのだと。
ただ、それでも、積極性には評価材料がある。当社の行動規範第1項の「お客様以上にお客様を想った」積極性だったか?だ。
「過程からしか可能性は産まれない」と言うことは、しっかりと言葉にして伝えなければ。
これは1年前の今日、僕が書いていたメモ。今日まで忘れていた。しかし、今、意味がある。