50歳になると、知っている方も「老いたな・・・」と感じることが多々あった。
古臭いギャグを言うとかではなく。
言葉にできないまま、自分も50歳になり、コロナ禍の今年は51歳になった。
自身でも「老いたな」と思うことと、「まだまだいけるし、やらないと」と思うことが相半ばしていた。
先日からゆっくりと「柄谷行人 対談集 発言編」をランダムに読んでいる。その中で、柄谷氏と笠井潔氏の対談に気になる箇所があった。唐突に「老い」「老年」について意見交換する場面が現れた。
「たとえば直接的なもの、経験的なものをフランス革命だとしますと、それに対する反省として出てきたのがロマン派です。ワーズワースにしてもコールリッジにしてもみんなフランス革命を通ってきて、あとから成熟した視点で書いているわけです。すべてが内面化されている。しかし、直接性は失われるのです。老人は認識する。しかしもう盲目的情熱的なことはできないわけです。若い人たちはいかにも新しそうにいろんなことをやる。しかし老人からみれは、実はもうとうに分かっていることをやっているにすぎないようにみえる。ヘーゲルにとって世界史がそうであった。つまり歴史の終焉ということなんですね」
〜「柄谷行人発言集 対話編」より
少し長いが引用させてもらった。
そう「老い」た人とは、経験や直接的ことが、すべて内面化されている人のことなんだ。時は止まり、内面的にひたすら深めていく。だから、若者の挑戦は、眩しい反面、すでに終わっていることに見えてしまう。そんな風に自分では捉えた。長らく言葉にならなかった「老い」について自分なりに捕まえた気がした。
そして、引用した発言の時、柄谷行人氏は48歳だそう。今の私より少し若いくらいで同じ年齢の頃の発言だった。妙に響いたんだよな。
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どこを読んでも知的な刺激がある名著です。